二月第一週。

なんてきれいな色だろう。
毎日、毎日、空を見て、ただ空を見て過ごしたい。
広い空の見える窓際に机を置いて、書き物をしながら数行おきにペンを止め、空を見てはうっとりとする。
これはとても素敵だけれど、全く仕事にならないな。
夢想。

高いところでの打ち合わせだった。
この建物で働く人たちは、窓の外をゆっくりと眺めることはあるだろうか。
日々の景色を贅沢なものと知っているだろうか。

良く晴れた日に、駅のホームから見える釣り堀は不思議な場所に映った。
釣り堀には1度だけ行ったことがある。
小さくて陽当たりの悪い、裏ぶれた釣り堀だった。
何度も釣られては放たれる具合の悪そうな魚たちが泳ぐ深緑色の水に糸を垂れることに何の意味があるのかと、不快だった。
けれど、ホームから見下ろすお日様いっぱいのここはえらく気持ちが良さそうで、
まさに「のんびり」で、ちょっと行きたくなる。
さて、息抜きに釣り堀にでも行くか。
考え事をしたいから釣り堀に行って来るよ。
明日は釣り堀で待ち合わせなんだ。
ひと段落したから釣り堀でお日様でも浴びるか。
今日は釣り堀にいるから用があったら電話なんかしないで来てくれ。
釣らないで座っているだけで良いな、と思う。

ここはアーチにしましょう、と言った人と、良いですねぇ、と言った人と、
ではそれでお願いします、と言った人を素敵だと思う。

駅を出て、劇場へ向かう途中のお宅の梅が見事だった。

風邪をこじらせ、肺炎になってしまった小母が入院した。
お見舞いに行くと、治療のおかげで随分と楽になっているようで、
日が沈むのを眺めていたのだと言う。
さっきまですごくきれいだったの、ここでホテル暮らしと笑う。
全く、入院するまで頑張らないで欲しいと思うけれど、
それが小母という人なのだからと周りも諦めている。
良いこともそうじゃないこともあるから生きているって楽しいのよ、と言う。
この歳になってもなかなかそうは思えない。
我ながら人間が小さい。

20年以上前に親しくしていた友人のことを憶い出していた。
彼女は占いを生業としていた。
わたしのことを妹のようだと言い、いつもひとつ先に優しい言葉を掛けてくれる人だった。
思い通りにならないことがあったことを彼女に話すわたしに、
自分に起こることは全て自分のせいなのだと、彼女はきっぱりと言った。
折に触れ彼女のその言葉を唱える。
今は会えない彼女のことを憶い出す帰り道。

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